2008年4月3日木曜日

2007年度〆

お疲れ様です。
延原です。

今日は3月末で部を去った。
部長、担当部長、先輩2名の送別会がありました。

某金融系のお客様を担当している部で
正直な話、本当に大変なことが多いと
年次を重ねる度、強く感じますが、
今年は受注・売上とも予算を大きく上回り
とてもいい成績を収めることができた。
部のみんなの頑張りということはもちろんそうだが、
ひとえに、この部で10年近く
雨の日も風の日も突っ走り続けた
3末で部を去られた先輩方のおかげだと本当にそう思う。

私が配属されてから今年で6年目。
それだけでも本当にいろんなことがあったが、
先輩方は本当に
妥協なく、会社のために何ができるか?何を求められているか?
何をやりたいか?ということを
人一倍考え続け
努力されてきた。
サラリーマン金太郎だ。

本当にそんな部だった。

頭が上がらない。
言葉では簡単に書けません。
とにかく本当にすごいの一言。

S部長には本当にお世話になった。
本当に迷惑かけた。

アメフトの経験以上に
責任ということを考えさせられた。

プロフェッショナルということを
よく教えられた。
部長には
よく怒鳴られた。
その後は決してムカついたりしなかった。
本当に今の時代、
周りの部を見ていても
こんなに真剣になってくれる上司っているんだろうかと思うくらい
真剣に怒ってくれた。
時には遠くから見て気にしていただいた。
すごく嬉しかった。
やはり部長は会社では父親なんだなと思った。

本部長、統括部長、グループ会社、お客様からも
部長の偉大さばかりしか耳にしません。
伝説の営業マンと語り継がれるんじゃないだろうか。
女性社員にモテル、多趣味、勤勉家
なんせシャベクリが本当にうまい。
スマート。
部のみんなはそんな部長の背中を見て育ったと思う。

そんな部長が、もういない。
最後の挨拶の時、
本気で号泣しそうになった。
「延原には一番怒鳴ったかもな。
知っている奴もいるかもしれないが
こいつは夢を追うために
4月末で会社を辞めることになった。
最期を部長として送り出せなかったのが
本当に申し訳ない。」とみんなの前で言われた時は
顔をまともに見れなかった。

僕が退職の意を告げた時、
場所を変えて討論になった。
彼には嘘も通じない。
きれいごとも。
本音で主語を必ずつけないとまず伝わらない。
言い合いになった。
初めて自分の奥底に眠る思いを言った。
討論になり
初めて部長に対して
レストランの机を叩いて叫んだ。

お互いが熱くなった。
すると部長は急ににっこり。
おい、延原、お前今机たたいただろ?
今まででのお前との会話で
一番胸に響いたよ。
怒鳴るって悪いことか?
いいじゃねーかって。

なんかその瞬間
部長のことをなんだこのデカイ人間は。
と思った。
笑うしかなかった。
一ビジネスマンである前に、
一営業マンである前に、
一社会人である前に、
一男である前に、
一フットボーラーである前に、
一人の人間であり、
そこからすべては始まるということ、
また、部のモチベーション向上と
部のコミュニケーションの向上のために
声を大にして叫んだ。

熱くなれるっていいね。
俺、フロンティアーズの2年目くらいまでだろうか?
熱いというかキャンキャン吠えていたのは。。
その後は何もできなかったし
何もしてやれなかったし
その後は単なる仲良しクラブという風にしか目に映らなくなっていたかもしれない。
話すと長くなるからここで辞めるが、
私自身本当に何もできなかったし
後輩たちには何もしてやれなかった。
本当に悪いことをしたと思う。
反面教師のもと後輩たちには
ぜひ頑張ってもらい
悲願の日本一になって欲しいと願う。


最後に、
僕みたいな
無知無能で、こんな見てくれで、
馬鹿で、調子乗りで、ふてくされて
気難しい人間を
今日にいたるまで、ずーーっと見捨てず体当たりでご指導いただいたことに
ただただ深く感謝しております。
本当にありがとうございました。


怒涛の3末を乗り越えたというのに
これからやらないといけないことがいっぱいある。。
でもなんかワクワクするな。
4月いっぱいまで富士通人として
最後まで頑張りまっせー。

でっかく生きよーぜみんな!w

   ほな。